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お館様の日常

 

 

◆お館様◆

 

お館様とのおわかれ。


四十九日の日に。。



今日は、お館様の四十九日。
 
いよいよ本格的に旅立ちの日になってしまいました。
 
寂しいのでこれと言った、おまつりはしませんでした。
 
 
 
2008/02/11。
 
私は休日出勤で、早朝から出かけていました。
 
目が覚めた時は、いつも通り私のベッドの枕元ですやすやしていましたが、私が起き上がると一緒にむっくり。。
 
その後は、お気に入りのソファでくつろいでいました。
 
「行ってくるね。」と、声をかけても素知らぬふりをするのはいつものお館様でした。。
 
 
夕方、1900過ぎに帰宅。
 
珍しく「にゃにゃっ。」と、鳴きながらお出迎えしてくれました。。
 
あまりの鳴き方に(お館様は普段あまり鳴きませんでした..)、「どしたの?」と声をかけたくらいです。。
 
すたすたと、ご飯を食べに行って、そのあとトイレで「ぷりっ。」(笑)。
 
「どうして帰ってきたら、いつもうんこするかねぇ・・・。」と苦笑していました。。
 
お風呂に入っていると、いつものようにやって来て、お風呂の蓋の上で「のほほん♪」するお館様。。
 
 
日常そのままでした。
 
 
少し晩酌して、書斎の椅子に座って携帯で彩花女将様とイベントの打ち合わせなど少々。
 
このときもお館様は、もそもそやって来てお気に入りの椅子の背もたれでごそごそ。。
 
電話中に、またまた珍しく「にゃあ。」と、鳴きました。。
 
女将様が「初めてお館様の鳴き声聞いた。」と、びっくりされていました。。
 
電話が終わったあともひとしきりごそごそと背もたれでくつろいでいたお館様ですが、

気が済んだのか、さっさと椅子から降りてリビングの方へすたすた。。
 
私は、ネットを続けていました。。
 
書斎から出て行って5分も経っていなかったでしょうか。。
 
リビングの廊下の方から「にやっ。」という聞いた事のない鳴き声が。。
 
 
私はすっ飛んでいきました。
 
お館様はいつものように「ころん。」と、寝転がっているように見えました。
 
 
でも。。。
 
 
まん丸な目が大きく見開いたまま。
 
 
駆け寄って思わず胸に耳をあてました。
 
おなかはぐるぐるいっていましたが、心臓の音は聞こえませんでした。
 
「みゆこ〜〜。」と、叫んでも反応無し。
 
床をたたいて泣きました。。
 
 
一頻り泣いたあと、そっとまぶたを閉じてあげました。
 
病院に連れて行く、と言う事は考えませんでした。
 
病院は大嫌いなお館様でしたし、何より、お館様が「そっとしておくのぢゃ。」と言っているような気がしたのです。
 
 
2008/02/11 20:00過ぎ。
 
お館様は永遠にすやすやとお休みになってしまいました。
 
 
なんと言ってもお館様は当家の当主。
 
皆様にお知らせしないと。。と、涙と鼻水だらけの無様な格好で、mixiとダイアリにご報告しました。
 
 
その後は大嫌いだった、ふかふかのベッドを天袋から取り出してきて、「ごめんね。」と言いつつお休み頂きました。
 
普段だったらすぐに逃げ出すのにじっと丸くなったままのお館様を見て、再び泣きました。。。
 
 
翌朝。
 
どんよりと曇った空。。
 
今にも泣き出しそうな空模様でした。。
 
前夜、何とか葬儀の手配が出来たので、午後までお館様としんみり。。
 
仕事は、大変な時期でしたが完璧にぶっちぎりました。
 
ちょっと葬儀の時間が早まって焦りましたが、琢麿呂さんがはるばる参列して下さいました。
 
この頃には本格的な雨。。
 
葬儀は涙雨になりました。。
 
 
2008/02/12 14:00。
 
お館様は、かりかり少しと三途の川を渡る千円札一枚・執事の書いた手紙を抱いて、ひとすじの雲になって旅立っていきました。
 
数時間後、小さな骨壺に入って帰ってきました。。
 
 
あと一ヶ月で13歳を迎えるお館様でした。。
 
生後2ヶ月に満たない時から大事に大事に慈しんできましたが、お別れの時がこんなに早く来てしまうとは思いませんでした。
 
楽しい思い出、たくさんたくさん残してくれました。
 
私と暮らした13年間、楽しく暮らせたなぁ。。と、思ってくれていると良いのですが。。
 
 
今は、形見の首輪だけが私の手元に残されています。。
 
 
ありがとう。
 
お館様。。
 
 
 
深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け
 


 
みなさま、お心遣いありがとうございました。
 
執事くりしゅな☆拝。


 

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